2014.05.31
いい保育の話
いっぱいいっぱいになるとブログをきっちりサボるという低い志で続けているのですが、
さすがに月に1回くらいは更新しなきゃというこれまた低い目的意識で5月最初で最後の
ブログです。
志は低いのですが、毎日毎日保育に携わる方々とお話していると感度の低い僕でも
多少気づくことがあるのです。
『いい保育』『正しい保育』
園の人材マネージメントでお困りの園は一度上記をNGワードにしてみてはどうかと思います。
この『いい保育』というものに関して言うと少なくともパーソンズが事業を開始してから
お会いした保育関係者の方でここを意識していない方は一人もいませんでした。
誰に聞いても各々これはきちんと考えられていることがあると思います。
ところが、人に関するトラブルの多くでこの『いい保育』というキーワードが出てくるのです。
『いい保育をしたいだけ』『いい保育をしていない』『いい保育をするためには・・・』
『いい保育をするために・・・』『いい保育をしていない』などがそうです。
この前後に入る言葉の多くに自己、もしくは園、他者の責を追求する言葉が含まれて来ます。
僕はいい保育がどのようなものか哲学もありませんし、今後も持つことはありません。
保育業界に携わらせてもらいながらそれがどういったものか明らかにしないのは
ずるいのですが、自分にはそれができるとも思えないし、僕には争いの材料にしか
見えないので話したくないというのが本音です。早い話が自分とこの職員を
攻撃する材料にもなってしまいます。だから何かの理由で職員と向き合わないといけない時には
いい保育というものを極力避けるようにしています。面倒なときもありますが、言葉を
選んで探せばいくらでも代わりは出てきます。
いい保育・・・という誰も攻めようの無い言葉でもって他者の責を追求することは意味が無い。
理由は簡単でどっちにも何も優劣がつけられないのです。
この言葉には正しさしかありませんし、皆強い願いや思いがあって話すので
いい保育を味方につけて話すとお互い引き下がれない
ラインだけがどんどん濃くなってしまうことを本当にたくさん見ています。
当然園としての哲学や方針を語ることからこれを排除することがあってはならないですが、
誰かや何かと争いに近い環境になってしまった時、この『いい保育』は本当にたちが悪いと思います。
戦争反対という誰が見ても明らかな事を味方につけて会話をするとそこから少しでも
外れることは戦争賛成だという話とよく似ているように思います。
基本的にいい保育反対じゃ無いからお互い引き下がれません。
園・個人、個人・個人いろんな諍いはあるのでしょうが、ひとつはっきりしているのは
4月、5月という保育園、幼稚園のもっとも大切で大変な時期を一緒に乗り切ったと
いう結果は残っていますし、どんないさかいがあろうとたかが2ヶ月の中で起こった事
ですから、流せるもんはさっさと流してイライラし易い梅雨を迎えた方がいいのでは
無いのかと思っています。本日は幸いまだ5月ですが、貧乏パーソンズはクーラーなんか
つけていませんので、すでに今日でも結構暑くていらいらします。
週末怒りを水に流して6月を迎える人が一人でもいるといいなとそんな風に思います。