2015.10.03
毎年恒例
毎年毎年この季節は、運動会かと思いきや僕はあんまり関係なくて、
この季節はもういろいろ辛いから、3月で辞めよう。でもあと半年すげー長い。。。
と、感じている人たちと向き合う時期になっている。
僕はとても薄情なんだと思うのだが泣かれても、わめかれても平気です。
僕には何にもできんと割り切っているのです。実際そうだし。
泣く人もわめく人も辛かろうがなんだろうが、3月までやると決めているから、
そうなるともう僕には何にもできないんですね。話してくれることをひたすら『ふんふん』
と聞き続けています。
いつもホントに思うのですが、何にもできません。相手も僕に何にも期待していません。
それは良くわかる。
何も出来ないということもあれば初対面の僕の前で泣くくらいつらい状況にある人が
それでもあと半年やるんだと思って腹を括っているのだから外野の僕が
何を偉そうに話すことがあるのかと思う。だからずっと『ふんふん』。
こういう事象は退職を決めてから退職をするまでのストロークが長い
この業界特有のことなのかも知れない。
そうはいってもそんなもん知るかとやめていった人たちによって
落ち込んでる園長先生たちもいたりする。保育園の整備によってよくなった部分と
確実にその制度によって疲労している部分両方見ているとまだまだ出来ることはあるはずと
多少力も入ります。
昨日話した先生もたくさん泣いていました。残念ながら退職をするそうで、自分が新卒で
担当した子供さんたちの卒園まで一緒に行きたかったそうな。
たぶんこういう人は多いと思うし、こういうまじめな人は次の転職先で必ずいい思いを
してほしいと思います。昨日その人にもお伝えしたのですが、
そういう先生ほど次の職場で身の回りに必ず起こる不条理だったり、不都合だったりを
受け止められる心を保っておいてほしいと思います。
保ち方や器の広げ方は人それぞれだと思いますが、期待に期待をした転職ほどうまくいかない
もんです。期待しすぎると本来自分の周りに普通に起こることが正しく受け止められなくて
自分のミスも、他人のミスも過剰に反応する対象になってしまったりします。
そういう自分にとって都合の良くないことを普通に受け止められる状態をいろんな方法で作って
次に進んでもらえたらなぁと思います。バラ色の転職なんかはありません。
僕はそんなありもしないことを夢見るより心の余裕の部分を広げたり、
増やしたりする方法を一緒に考えています。とてもアナログで地味な作業ですが、
僕はこれは正解だと思うので、例年通り今年も続けようと思っています。
そういう僕も自分とこの先生たちがどう感じているか考えるのは本当に怖いのです。
人のことだと落ち着いて聞いているくせに自分のことだとそんなもんです。
親身になっているつもりでも、やっぱり僕は薄情なんだなぁと思います。。。
まぁそんなもんです。。。