2019.02.09
システムとか仕組み
最近ニュースはバカな親のバカな行為の話が連日流れています。
数年前の僕はこういったことはどこか他人事であんまり何も感じませんでした。かわいそうとか痛ましいとこそういうことは感じます。
でも何も考えられないし、かわいそうで終わりでした。
で、今どうなっているかというとちょっと嫌気がさしています。
今回事故に関わった大人の対する厳しい声に対して。
親は無視でいいかと思います。論じる必要もないし。
多くの人は児童相談所、教育委員会、学校等誰が悪い彼が悪いと言っている。まぁそうだと思う。
テレビでもかかわった人に向かって、自分の子供だと思って対応していたらとかなんとか話していると思う。
そこには『仮に自分なら』こうはならなかったという意味が入っていると思う。それはそうかも知れませんが。。
でも僕の少ない付き合いの中でやり取りしている児童相談所や先生等々の方が特段無能だとは思えない。自分ならと思っている人が特段優秀だとも、勇気があるとも思えない。
多分みんな変わらない。
弱弱しく話す人たちをみて役所の人間はダメだ見たいに思っていると思う。断言するけど、違う。みんな一緒。
僕も含めて常識の外で起きる事には人間信じられないほど弱い。へぼい。
人がいろんな流れの中で過ごしていると、普通は見過ごすことの無いものを見落としたり、怖い気持ちに勝てなかったり。
この馬鹿な親に抵抗したら、自分や自分の家族に危害を加えられるのでは??多分怖いですよ。
本当に痛ましいことが起こったのですが、対応した大人や、対応した大人の仕事を責めるのはやめて、システムとか仕組みとかそちらを議論を進めてもらいたい。
その時に対応した大人の仕事に間違いが起きた時彼らを守る仕組みも一緒に考えないと彼らも体を張れないように思います。
子どもを取られまいとする親からつながりの弱い方が状況証拠だけで引き離す。かなりの勇気と確証が要求される。
だから今起きている議論で子供を守るも大事ですが、対応する人のことも一緒に土俵に上げてはどうかと。
人が対応する限り人の心が絡むので、君たちはこれで守るから何とか一つ戦ってくれと。そういう議論になるといいなと思います。
もうそろそろ失敗した人せめても何も生まれないのでぜひそちらで。本当に切に思います。
虐待の事実が無かった時、当事者の親はともかく、対応した人たちに対して世間が一呼吸もつ気持ちを持つだけで、対応する人たちやりやすくなって結果子どもの利益になるのかと思います。
今日本中人不足です。今回対応に当たった人たちの部署も多分同じような状況です。その中で起きたことです。直接被害の無かった人は批判を止めて、仕組みを考える。
それが大事なのかなとそんな風に思います。